クソアニメ「ポプテピピック」の『クソ』とは

2018年年始早々にぶちかまして話題沸騰中のアニメ「ポプテピピック」の2話が先日、放送された。

大川ぶくぶ氏の原作を知らずとも、漫画のシーンがネット上で煽り素材として多く出回っているのをご存知の方は多かろう。

その漫画も自他ともに「クソ漫画」と称して流行し今に至るが、その「クソ」とは一体何なのか、考えたことはおありだろうか。以下は、それに関しての僕の見解である。
アニメ2話迄と原作セカンドシーズン迄のネタバレがあるのでご注意ください。



















ポプテピピック」というタイトルに、最早枕詞のように「クソ」と言う形容詞がつく。

既に話題になっているが、去年の先行上映会で声優の発表があった小松未可子さんと上坂すみれさんのダミー告知を皮切りに、フェイクOP(ここまでは想定内だった)、枠内再放送、1話で四通りもの声優出演、横行するパロディ、実写、作画崩壊等、二話の時点で既にこのアニメの特異な部分は枚挙に暇がない。

予想を秒単位で裏切ってくるこのアニメが、では、なぜ「クソ」と言われているのか。

通常では考えられない構成だから?
声優の無駄遣いだから?
視聴者含めどこにも忖度しないから?
否、そんな理由ではない。そもそも、理由などない、この作品は「クソ」としか表現できないからだ。

実に当たり前のことを言うようだが、これがこの作品の真髄である。もっとこなれた表現では「ナンセンス」と言う。意味など無い、それ故に面白い。

アニメーション含め、昨今は解釈しがいのある作り込まれた作品が評価される風潮になって久しい。
その中で、(おそらく)潤沢な予算に後押しされた、純粋なまでに振り切って我が道をゆくポプテピピックは、2015年始まってからようやく、満を持して2018年、新たなナンセンス--今の言葉で言うと、『クソ』--の嵐を、地上波を占拠し日本に吹き荒らすのだ。

そしてポプテピピックの恐ろしいところは、このナンセンスさに驚くべき磨きがかかっているところだ。

考えても見てほしい、ストーリー構成やら何やら、全く意味が通じないのに、なぜこの作品はここまで「面白い」のか。
観た後しばらく「なんだこれ」という衝撃に打ちのめされながら、あるいは「時間を無駄にした」、あるいは「全く分からなかった」と感じながらも、視聴者は確かにその余韻の中にいるのだ。
(「余韻に浸る」と言うといささかパンチに欠けるので、「余韻に揺さぶられている」と言った方が適切だろうか。)

話の実質的にはなんの意義も持たず、それでいて視聴者に多大なる衝撃を与える。
声優の技量ももちろんだがそれだけではない。
ネタを繰り出す「間」、構成や配役の順番、内容のチョイスなど、一歩間違えればただの意味不明なところとの、言わば綱渡りのような絶妙なポイントを突いてくるのだ。

アニメ1話もまさにそうだった。オープニングの星色☆ガールドロップで始まり、第1話は全体的にほとんどがパロディという構成である。
原作の漫画を読んだ方ならご存知かもしれないが、この流れはセカンドシーズンのものだ。そして、セカンドシーズンを読み始めた時、多かれ少なかれ初巻とのテイストの差を感じた事だろう。

そう、1巻の方が「わけがわからない」のだ。

2巻はちゃんとオチがある、ネタがある、漫画が成立している。こんなのはポプテピピックじゃねえ、一巻の衝撃に劣る ---- 裏を返せば「まだ多少の理解の余地がある」、初心者向けということだ。
フェイクOPからの流れ改め 、アニメ二話の本OPでいよいよ「ポプテピピック」が始まる。1話はさしずめ前菜、冷たいお芋のスープと言ったところか。
めちゃくちゃに見えるが吟味した途端、綿密に組まれた構成が垣間見えてくる。


一見支離滅裂でナンセンスな特質とは相反しているようだが、この効果的なプロデュースには一周回って高度なセンスが必要であろう。
めちゃくちゃな映像の集合体がひとつのまとまりとして殴りかかり、クソアニメ「ポプテピピック」のブランド性、カリスマ性、権威が生まれる。それがこの破壊の大渦を作り出すのだ。


さらにこのアニメ、構成が上手いだけでなく笑いの質も高度なのだ。

twitterでの@m_tobermory氏の発言( https://twitter.com/m_tobermory/status/952346558204293120 )の通り、この作品には下や差別の要素が一切ない。他を貶めるのではなく、むしろ自ら果敢に色々な方面に喧嘩を売り、そして「クソ」を自称することで、言わば自家発電のようなギャグを生み出す。

原作ではインターネッツで物申すマン、俺も俺もボーイ、スモーカー、サブカルクソ女などの多彩なキャラクターも作品にポイズン的スパイスを加えているが、さすが地上波を針まみれの身体で転げ回るのはどうなのか、ツッコミの起因がポプ子とピピ美の行動から生まれる自発的なネタになっている。

そしてその配慮を照れ隠しの如く多彩な構成で感じさせないさまに、この作品の良さ、ひいては愛嬌さえ感じてしまうのだ。


このように、アニメ「ポプテピピック」はこの息苦しい配慮の時代を、オリジナリティ溢れるハイセンスなナンセンスさーーーー『クソ』を以てして、アニメの新たな境地へと登り詰めているのである。三話以降への期待が高まるばかりだ。